アリス・イン・ワンダーランド | “Seligkeit”

アリス・イン・ワンダーランド

“Seligkeit”-アリスインワンダーランド ※あらすじ(長いけど・・・)

 父が存命の頃を思い出す。まだちいさな頃のことだ。
 いつものように悪夢にうなされるアリス。不思議な世界に迷い込んでしまう夢。

 私は頭がおかしくなっちゃったのかしら・・・?

   『確かにお前は少しおかしいかもしれない。

   だが、優れている人は、みな頭がおかしいものさ』


 そんなとき、いつでもベッドの横でこう言って安心させてくれた。

 だが、現実の世界はそんなに甘くはなかった。



“Seligkeit”-(C)DisneyEnterprises,Inc.Allrightsreserved.

19歳に成長したアリスには許婚がいた。

 父が他界した後、会社を救ってくれた貴族の子息。
アリスはその現実をどこか受け入れることができないでいた。

貴族のしきたりに縛られた世界。表面上の「幸せ」を守るための虚構。
「自分」を置き去りにして勝手に進んでいく世界。


『集中しなさい!』

目に見えないものを想像することは、即ち悪である。
自分の知らないところで、勝手に仕組まれた「プロポーズ」。
YES. 以外の答えは用意されていない。


『私には時間が必要なの!』

アリスは「答え」から逃げ出した。
チョッキを着た奇妙なウサギの後を追って。

白いウサギが潜った大きな穴は、不思議への入り口。
覗き込んだ途端、アリスは「アンダーランド」へと落ちていく。

上は下。右は左。過去はイマ。あなたは私。
迷い込んだ所は、パラドックスと不条理と非現実のおかしな世界。

そこで待っていたのは、おかしな住人。
赤の女王から世界を救う「救世主・アリス」を待っていたという。
これは、私の見ている「夢」?なぜみんな、「私」を知っているの?
でも、「私」は「救世主」なんかじゃない!

いつまでも覚めない悪い夢。
いつしかアリスは過酷な運命の歯車に翻弄されていく。

その時アリスが下す決断とは・・・?




不朽の名作を、ティム・バートンが、ジョニー・デップと、3Dで。
それだけでもう、期待するなと言う方が「マトモジャナイ」。
公開初日に観て来ました感想です。無駄に長いです。


以下、ネタバレ。

・・・


今回ティム・バートンが撮ったのは、真っ当なディズニー映画だった。

貴族社会のしきたりに馴染めず、
周囲の期待や、自分の置かれた現実を受け止めきれない
どこかふわふわしたひとりの少女が、
様々な困難を乗り越え、自分の意志の力によって
不確かな「夢」を「現実」へと変えていく。

少女性からの脱却。
ワンダーランドからの卒業。
そんな真っ当なお話。

これを、どう捉えるべきか?

原作の世界観をベースに、
主人公とワンダーランドのその後を描くという大胆な発想の割には
「アリス」という題材に対する斬新な解釈や、
突拍子もないシナリオ展開はひとつも感じられなかった。
無難に再構築された感じ。

いつものバートン節はどこへやら?

ただ、映像は文句なしに素晴らしく
それを楽しむためだけにこの映画を見るのもやぶさかでない。
彼の衣装や小道具のディテールへのこだわりや、
まるで本当に見て来ことがあるかのように
不思議な世界を「創造」してしまう力にはいつも感服する。

(しかし美しい色彩は3Dメガネのおかげで台無しだったが)


でも、
やっぱり私は
ティム・バートンの
おかしな世界のおかしな者たちの描き方に
今回は納得がいかなかったのである。

色々と挙げていくときりがないが、
特に気になったのは


の女王」と「の女王」


の対比。


美しい容姿を持ち、誰からも愛される妹と
大きな頭にコンプレックスをもつ、激しい性格の姉。
ティム・バートンといえば
「シザーハンズ」があまりにも有名であるが、
彼は、姿形の美醜(特異さ、おぞましさ含む)というものの
人間の精神・感情に及ぼす影響を理解しつつ、
「異形」の者たちを、その悲哀を
たっぷりの愛情をこめて描いてくれる数少ない監督なのだ。


なのに、赤の女王に対する「救い」は用意されていなかった。


ジャバウォッキーとの戦いを終えたあと、
アンダーランドの統治権は白の女王に渡った。
そして「慈悲深い」妹は、姉に対しを下す。
そのシーンで、善=白の女王、悪=赤の女王という
対比構造が、ひっくり返ったような気がした。
それくらい、「救い」がなかったのだ。


「数あるファンタジーの世界と同じで、このアンダーランドにも善と悪が混在する。
でもここの面白いところは、
あらゆることがほんのちょっとだけズレているところなんだ。善人であってもね!」 

というバートンの言葉は、
こんな、悲しい「ズレ」を表していたのか・・・?

今回、アリスの敵は怪物ジャバウォッキーだった。
(現実とのリンクという構造で考えると、ジャバ=婚約者だし)
赤の女王は、確かに横暴で残忍でどうしようもない人間だが、
その生まれ育った環境や、コンプレックス、
ひとりの「女」として愛されたいと願うまっすぐな心、
そういった点で、彼女は「救い」を与えられるべきだったのではないかと思った。
もしくは、
その「偽善」を住人に見抜かれ、姉妹共に断罪されるべきなのではないか。

(もしバートンが、観客がこんな風に彼女に対して「同情」や「憐情」を感じるように
仕組んでいたのだとしたら、それはそれで、少し悲しい。。。)



結論。
この映画、私にとっての救いは、
相変わらずヘレナ・ボナム・カーターの演技が素晴らしかったこと。
バートン監督は、彼女には良い役を与えているなぁと思う(良い意味で。)
あと、ジョニー・デップは、主役を喰っちゃってた(笑
期待していた演技ではなかったように思う。

※見終わった後、色々と考えてみたり、他の人のレビューやブログを読んでみて
当たり前だが、人それぞれにお話の解釈の仕方が違っていて面白かった。
そして、もう一度見直してみようかと思った。